国立大学医学部附属病院血液浄化(人工腎臓)部門連絡協議会の歴史

千葉大学医学部附属病院人工腎臓部 織田成人

 

本協議会は、1989年に第1回目が開催され、それから1992年まで、最初の4回は千葉大学を当番校として開催されている。当時の千葉大学病院人工腎臓部は、旧第二外科(現在の食道胃腸外科)准教授の小高通夫先生を中心に、同外科の人工内蔵研究室のスタッフによって運営されていた。小高先生は、日本透析医学会の前進である人工透析研究会で、現在も継続され世界に冠たる透析患者の統計資料「わが国の慢性透析療法の現況」の事務局を長年勤められていた。また千葉大学病院人工腎臓部はいち早く予算措置されたことなどから、小高先生が本協議会の創設に中心的な役割を果たされたと考えられる。以来、本協議会は年1回持ち回りで行われてきたが、当番校は予算措置のついた人工腎臓部あるいは血液浄化部門に限られていた。

 私がこの協議会に関わるようになったのは、人工腎臓部副部長(講師)を拝命した1996年からである。それから4年間、私は実質的に人工腎臓部の責任者として働き、その間に数回本協議会に参加した。20年近く前のことでありその当時の記憶は乏しいが、1997年に長崎で開催された協議会は日帰りで行ったこともあり、かろうじて覚えている。2006年に、平澤博之先生の後任として救急集中治療医学の教授となったが、それ以降は人工腎臓部長も兼任していることから本協議会に参加しており、最近は運営委員として関わっている。

本協議会の目的の一つは、人工腎臓部門の予算措置を国に認めてもらうことであった。維持透析患者の増加や血液浄化法の進歩に伴い、各国立大学病院に血液浄化部門が開設されるようになったが、予算措置された大学は少なく、多くは学内措置で設置されていた。そのためスタッフやベッド数が十分でない大学が多かった。これらを改善するために、協議会で調査を行って全国国立大学病院長会議に要望書を提出して予算措置を実現し、スタッフの充実やベッド数の増加を図ることと、教育・研究施設として透析患者の管理や他の血液浄化法の開発や適応拡大に貢献することなどが、本協議会の主な目的であった。現在国立大学病院は法人化されたため、予算措置の有無に関係なく各大学病院が独自に運営できるようになり、予算措置の要求に関しては意味をなさなくなっている。今後は、各施設間の情報交換と、大学病院の血液浄化部門ならではの研究や教育に関して議論し、透析医療や血液浄化治療の発展に貢献することが本協議会の目的と考えられる。